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ハワイ島ヒロ大神宮〜国外最古の神社で安産祈願

ヒロ大神宮 ハワイ島
2023/10/28撮影

安産祈願でヒロ大神宮を訪れました。

実はこちらの神社、日本国外最も古い、歴史ある神社らしいのです。

ハワイ島は、日系人の多い田舎の島なので居心地はいいのですが、やっぱり神社にいくと、日本の雰囲気を感じてホッ

今回は、ヒロ大神宮の歴史を振り返りながら、写真をお届けします☆彡

ヒロ大神宮

 

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ヒロ大神宮で安産祈願

ヒロ大神宮

コナ方面からヒロ動物園へ行く途中に、ヒロ大神宮に立ち寄りました。

 

今回は、節目の来訪だったので来場者手帳に名前と日付、どこからきたのかを家族分記入

知り合いの日本人のお名前も見かけて、やっぱり皆さん、来ているんだな〜と。

 

ヒロ大神宮
ヒロ大神宮
ヒロ大神宮

安産祈願と書いてお祈りしてきました。

 

今回はお参りだけでしたが、御朱印お守りおみくじもありますよ☆彡

御朱印はこんな感じ↓

ヒロ大神宮の御朱印

 

お札はこんな感じ↓

ヒロ大神宮のお札

「大漁」の文字に、ハワイは海に囲まれているからだと勝手な想像をしていましたが、今回八幡神には「大漁旗」の意味があるのを知り、由来はそれなのではないかと思いました。真相はいかに…!?

 

おみくじは日本語・英語で書かれています↓

ヒロ大神宮のおみくじ

 

お守りも売っています。

キラウエア火山の女神・ペレ様と関係の深い、オヒア・レフアをモチーフにしたお守りもありますよ☆彡

ハワイ島ヒロ大神宮〜波瀾万丈すぎ!国外最古の神社の歴史

参拝

ヒロ大神宮の公式サイトを引用しながら、神社の歴史を振り返ります☆彡

初代宮司がサトウキビ労働者として移住、1898年創建

ヒロ大神宮は、明治31年11月3日に創建[*1]。

当時の天皇誕生日に建てられました。

 

明治31年というと、西暦1898年

日本人は第二次世界大戦前から、ハワイ島で暮らしていたんですね。

 

サトウキビ

初代の宮司(ぐうじ)さんは、サトウキビ畑の労働者としてヒロに移住したそうです[*1]。

 

昔、ハワイでは公共政策の一つとして、サトウキビを育てていました。平地で、近くに灌漑施設の池があるところはだいたいそうです。

 

サトウキビ畑の労働者として、言葉も文化も違う、太平洋の島へ渡った日本人たち。

勇気があります。

 

ハワイでは今サトウキビが栽培されていないのはなぜ?
  • 昔、ハワイではサトウキビ産業が盛んでした。しかし、南米など他の国でより安価な砂糖が収穫できるようになり、ハワイのサトウキビ産業は衰退していきます。
  • そして、サトウキビ農家はコーヒーなどの作物へと転換しました。
  • 例えば、カウアイ島のカウアイコーヒーや、ハワイ島のカウコーヒーなどもそうです。
  • 筆者はそれぞれの農園を見学してきましたが、気候と土壌がコーヒー栽培にピッタリなんだそうです。コーヒーマニアではありませんが、飲んでみたらどちらも素晴らしい風味でした☆彡

 

ヒロ大神宮にまつられている三神

ヒロ大神宮には、三体の神様がまつられているようです。

三神をまつるというのは、なんとも日本らしいですよね^ ^

 

創建当時の記録がこちら↓

創建当時の記録に「御祭神は伊勢の両大神、宮中奉斎の諸神」とあり、また現地邦字紙が「日本八百万神の布哇出稼ー天照大神八幡宮清正公三柱神の諸神」と伝えておりますことから、九州出身者をはじめ、全ての日系移民が各々の故郷の氏神様とのご縁を繋ぐ、心のよりどころとして創建されたと思われます。

Hilo Daijingu,「 略記 – Brief History」, 取得日2023-11-2.

 

うーーん、ムチすぎてわからん…

調べてみました↓

 

伊勢神宮

まず「御祭神は伊勢の両大神」について。

伊勢とは、伊勢神宮のこと。

「伊勢の両大神」とは、天照大御神(あまてらす・おおみかみ)と豊受大御神(とようけ・おおみかみ)のことです。それぞれ皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)にたてまつられています。天照大御神は皇室のご祖先であり、日本の国家と民族の守り神とされています。豊受大御神は衣食住や産業の守り神であり、天照大御神のお食事を司る役目も担っています[*2]。

 

伊勢神宮とは?
  • 正式には「神宮」といい、三重県伊勢市にある。全国約8万社ある神社の中でも「神宮」は最大の聖域。 
  • 日本で1番高位の神さまが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)皇室の祖神。 2000年に建設された「神宮」の内宮(ないくう)にまつられている。

 

次に「日本八百万神の布哇出稼ー」について。

布哇(ふわ)はハワイの古い呼び名で、出稼ー(でかせ)は出稼ぎのことです。

 

つまり、日本の神々がハワイに移住した日本人を守るために、一緒にハワイにやってきた

ということを意味しているのでしょう。

 

さいごに「天照大神八幡宮清正公三柱神」について。

ヒロ大神宮にまつられている神さまのことを言っています。

  • 天照大神は、天照大御神のこと。皇室の祖先であり、日本の国家と民族の守り神
  • 八幡宮は、八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)のこと。もとは大漁旗を意味する海神でしたが、今では鎌倉幕府を起こした源氏の守護神のイメージが強いです。八幡神をまつった神社は全国4万社以上あると言われています。武運や学問の守り神とされています。
  • 清正公(せいしょうこう)は、熊本の戦国武将・加藤清正のこと。武将や築城家として有名な人物です。

 

最後の清正公については、ヒロ大神宮の創建の中心人物であった、初代・宮司さんが熊本県出身なことに由来するようです[*3]。

豊臣秀吉や徳川家康が死後に信仰対象になったということは聞いたことがありますが、天下を統一していない一人の大名が信仰対象になったのは、珍しいことのようです。

ハワイ全島に分社が設けられる

全盛期にはハワイ全島に分社講社が設けられました[*1]

講社とは、信仰している人々の集まりのことだそうです。

日系人がそれくらい多かったんですね。

 

移住者は、サトウキビ畑での労働契約が終わった後、ヒロ湾の商業地区に引っ越してビジネスを始める人もいたんだとか。

わたしが毎週通っている、ハワイ島の日系スーパー・KTAの創業者・谷口幸一さんと谷代さんご夫婦も、そうだったようです。

 

また当時、ヒロには日本人の町が2つもあって、そりゃもう栄えていたようですよ[*4]

1941年、真珠湾攻撃によって日米開戦

1941年、昭和17年12月7日、オアフ島のパールハーバーを日本軍が攻撃。

真珠湾攻撃です。

 

これにより日米が開戦

 

ヒロ大神宮の三代目工藤宮司さんは、即日逮捕・抑留され、捕虜交換船で帰国。ヒロ大神宮はその後約15年間、活動停止しました[*1]。

 

真珠湾攻撃とは?
  • オアフ島真珠湾(パールハーバー)の米軍の軍港基地に、日本軍が仕掛けた攻撃。
  • 太平洋戦争開戦の引き金となった。

 

余談:パールハーバーについて

戦艦ミズーリ記念館
パールハーバーの戦艦ミズーリ記念館

パールハーバーは、いつかいきたい場所の一つです。

歴史オタクではないのですが、ハワイで暮らすなら一度は訪れるべき場所だと感じています…

 

オアフ島地図

YouTubeでも観光できるので、興味がある方は見てみてください。

おすすめの動画を2つ紹介します↓

 

1つは、旅行ユーチューバーのスーツさんの動画

フラットな彼の説明と感想は、同世代として聞きやすかったです。

真珠湾攻撃後には、強制収容所に入れられた日本人・入植者がいたり、アメリカへ忠誠を示すために自ら危険な隊に志願した人々もいたりした、というのは衝撃的でした。

 

もう1つ見てよかったのが、パールハーバー専門のガイド・ジェリーさん(男性)の動画です。

日本とアメリカそれぞれの歴史観を説明してくれます。

特に印象的だったのは、パールハーバーを偵察していた日本の海軍少尉は、本人ですらも真珠湾攻撃のために情報収集しているとは知らされていなかったというお話。本人の手記に、

「その日、朝食を食べていて、アメリカ軍が軍事訓練をしていると思ったら…」というくだりを聞いたときにはゾッとしました。

 

日米開戦前から、ハワイに根付いていた日本人たちが、真珠湾攻撃後にどのような感情を抱いたのか、非難を浴びたのかを想像すると胸がズッシリします。

 

また、NHKが米軍の戦艦アリゾナの生存者、ルー・コンター氏にインタビューした記事も貴重な内容でした…。

戦艦アリゾナは米軍兵士1,177名と共に、パールハーバーに沈没した軍艦です。

 

***

まだロシアは侵略を続けているし、中東ではハマスのテロ攻撃が起こっています。

歴史的に複雑なのでしょうが、それを理由に残虐な行いをしてもしょうがないという免罪符にはならないと思うのです。戦地で生活している人たちを想像すると、恐ろしい。

いち早く終戦できるように岸田総理は働きかけ続けてほしいですし、私自身、募金などできることをしていきたい。

***

 

最近、真珠湾攻撃について調べていたので、つい長くなりました…

 

1960年、チリ地震で社殿が流出

津波

終戦後、ヒロ大神宮は活動再開します。

 

しかし、間もなくチリ地震が発生。

この地震は、1900年以降、世界最大規模の地震に。

津波によって、ヒロでは61人が死亡[*5]

ヒロ大神宮の社殿も流出。

 

東日本大震災のマグニチュードよりも大きな地震でした。

チリと真反対に位置する、日本の太平洋側沿岸部も、津波による大打撃を受けています。

地元メンバーで復興。今年125周年に

ヒロ大神宮を復興するために、地元メンバーが土日に作業したそうです。

国外最古の神社と聞いたときに、社殿が新しいので気になっていたんです…

現在は、ヒロの内陸地に建てられています↓

 

ヒロ大神宮

今年は創立125周年。

おめでとうございます☆彡

さいごに

今回は国外最古の神社、ハワイ島のヒロ大神宮の歴史と写真を紹介しました。

ハワイ島には今はもうヒロ大神宮しか神社がないので、日本人移住者の拠り所になっているように感じています☆彡

 

清潔なお手洗いもあるので、休憩&参拝がてら、ぜひのぞいてみて下さい♩

 


参考文献

1.HILO DAIJINGU,「略記 – Brief History」,取得日2023/11/2.

2.神宮, 「知る見るわかる、伊勢神宮」,取得日2023/11/2.

3.熊本大学,「清正公信仰の研究:近世・近代の「人を神に祀る習俗」」, 著. 福西大輔,公開日2010/10/14,,取得日2023/11/2.

4.ALOHA PROGRAM, 「ハワイ島の日本人町 新町と椰子島」, 公開日2019/1/1, 取得日2023/11/2.

5.日本都市計画学会,「ハワイ島ヒロにおける津波復興都市計画と最近の動向ー1960年チリ地震津波50周年現場報告ー」,公開日2010/5, 取得日2023/11/2.

 

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